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敵基地攻撃能力

 政府は、「相手からの更なる武力攻撃を防ぐために、我が国から有効な反撃を相手に加える能力、すなわち反撃能力を保有する必要がある」(国家安全保障戦略)として、2022年12月、「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」のいわゆる安保三文書の改定を閣議決定し、相手の領域において、わが国が有効な反撃を加えることを可能とする能力(敵基地攻撃能力)を保有しようとしています。  敵基地攻撃能力とは、日本が、他国の領土をミサイルなどで直接攻撃できるようにするものです。敵の基地だけを攻撃するように読めますが、それに留まるものではありません。2022年12月の政府・与党協議では、「軍事目標」を対象とする、とされました。軍事目標とは、「物については、その性質・位置・用途または使用が軍事的行動に有効に役立つもので、かつその破壊または毀損、その捕獲または無力化がその時の状況において明確な軍事的利益をもたらすもの」と定義されます(ジュネーブ条約に対する1977年の追加議定書)。軍用施設だけでなく、民間の非軍事施設であっても、軍事的に利用されるものは広く「軍事目標」にされる可能性があるのです。  このような敵基地攻撃能力の保有及び行使は、憲法に違反するおそれがあります。日弁連や東京弁護士会をはじめ、全国の弁護士会の多くが、その保有及び行使に反対しています。 弁護士 漆原

神岡じん肺訴訟の記念冊子ができました

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○このたび、私が弁護団に加わっている神岡じん肺事件の記念冊子「命をかけた戦い-神岡鉱山じん肺裁判・12年の記録-」が発行されました。 神岡じん肺事件は、飛騨市神岡町の神岡鉱山で発生した労働災害であるじん肺に罹患した労働者多数が、「あやまれ、つぐなえ、なくせ、じん肺」をスローガンに、経営会社である三井金属鉱業株式会社やその関連会社に対して賠償を求めて訴訟を提起した事件です。 じん肺とは、粉じんを吸入することにより肺の器官が繊維質の組織に変質して呼吸の困難などの症状を引き起こす病気です。 神岡じん肺事件は、2009年の第1陣提訴から、2014年の1陣地裁判決・控訴と2陣提訴、2016年の1陣高裁判決と上告、2017年の1陣高裁判決確定、2020年の2陣地裁判決と控訴、2021年の2陣高裁判決と上告及び3陣提訴、2022年の2陣高裁判決確定を経て、今でも第3陣が岐阜地方裁判所に係属中です。 三井金属側は一貫して、「十分な粉じん対策を講じていた、原告はじん肺に罹患していない」と主張して、全面的に争ってきました。 しかし、いずれの判決でも会社側の安全配慮義務違反(粉じん対策の不十分)を認めていることに加え、第2陣の高裁判決では、CT画像によって労災認定を覆せるという会社側の主張を認めないという判断まで勝ち取りました。 この記念冊子は、ここに至るまでの弁護団と原告団の苦労や思いを、弁護士や原告自身が語るという貴重な内容になっています。 ○じん肺の罹患を理由とする賠償請求事件は古くから全国で訴訟となっており、原告となる労働者の職種も、鉱山労働者だけでなく、トンネル労働者、建設労働者など様々です。  そして、私も神岡じん肺に関わるまで知らなかったのですが、神岡じん肺事件まで、被告会社側は労働者がじん肺に罹患していることを強く争わないのが通常だったようです。  これは、じん肺に関しては「じん肺法」という法令が制定され、労災認定手続の一部として診断の基準や方法まで定められており、まず労災認定を得て、それから会社に対する訴訟を起こす手順を踏むため、じん肺罹患を争うということは、すなわち厳格な手続を通じて確定したといえる診断を争うということに他ならず、勝ち目が薄いと考えられていたからのようです。  ところが、三井金属は、比較的新しい診断方法であるCT画像の所見によれば、じん肺であればあるは...

総会記念学習会をひらきました! 袴田(はかまた)事件~死刑えん罪と刑事司法制度

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 2023年5月14日、コロナ禍から4年ぶりに、ひだ法律事務所「友の会総会」を対面開催しました。 今回の記念講演は、袴田弁護団の一員である東京の戸舘圭之弁護士を講師にお迎えして、袴田事件を題材に冤罪と刑事司法制度について知る内容でした。 1966年に発生した一家4人惨殺事件の犯人として死刑判決が確定してしまった袴田巌氏(87歳)は、40年以上にわたって再審請求を繰り返し、2023年3月、ついに再審開始決定が確定しました。 戸舘弁護士は、実際に再審請求を戦ってきた弁護士ならではの迫力で、ずさんな決めつけによる捜査を司法が追認して冤罪を生む仕組みを、わかりやすく話してくださいました。 唯一の物証である「5点の衣類」について、捜査機関による捏造による可能性が高いと指摘されると、会場からため息が漏れました。弁護士になりたての頃の刑事弁護への思いが甦るような熱い講演でした。(川津)